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渡邉暢浩 の記事一覧

担当業務「医療・介護・福祉・地域」事業

真摯に誠実に! お客様へのひと言:他社との最大の違いは社員の人間力です。必ずお客様を幸せに近づけるこころと技術を持っています。

足し算と引き算

酷暑、酷コロナ、酷戦争、酷物価。

何とも生きずらい世の中となりました。

しかし、日本はまだ平和の中にあります。

77年前の日本のことを思うとこれしきのことと思わねばと思います。

こういう時代だからこそ、本質的に本当に必要なものとそうでないものとを

真摯に整理していかなければならないと強く思います。

現状という今があります。当然この現状をさらに良くしたいと常に人は

思い行動します。そういう時、普通にやることは何か今やっていないことを

やろうと考え実施します。でも、あまりよくならない。そうすると、また、

もっと何かをやろとします。

延々と続く足し算。

我々は時間の中に生きています。しかし、時間は意識は出来ても、見ることは

出来ません。

例えば、一つの段ボール箱に今必要なものを入れて、それだけを使って仕事も

生活もすると決めた時、何をしなければならないでしょうか?

今から必要なものを入れるために、もう必要ではないものを捨てるしかありません。

引き算をするしかありません。引き算を究極的にしていった時、本当に必要なもの

が残ります。その研ぎ澄まされた引き算をする時、最も必要なものは、主体的に

研ぎ澄まされた判断力だと思います。

これからさらに技術が進み、ロボットを中心にした人間と非人間との協働社会が

生まれ発展していくでしょう。

ロボットは時間の中に生きていません。我々人間は時間の中に生きています。

時間という箱の中に生きている以上、我々はすでに足し算をする前に、必ず

引き算をする時代に生き始めていると思います。

そのことができて初めて、人間の究極的な幸福感が生まれてくるのではないかと

思います。

川木建設がいる建設業という世界もまた、そのことを考えながら変化していか

なければならないと思う今日この頃です。

 

 

べた凪選挙

7月11日投開票の参議院選挙がスタートしました。

麻生さん曰く「べた凪選挙」だと。

私も同感です。「べた凪選挙」というより、「べた凪国家」だと思います。

それは野党の不甲斐なさもあると思います。

最近また田原総一郎さんの「朝まで生テレビ」を見るようになりました。

御年88歳、すごいです。今も情熱をもって司会を務められています。

移り変わる世の中に興味を持ち続け、行動し続ける姿を敬意をもって見ています。

そしてもう一人、黒柳徹子さん。分野は違いますが、興味と情熱をもって人に接する姿

に毎日感動しています。

経済経済といたるところで言われます。明治開化後の時代、世界戦争後の時代、

まさに物を増やすことが人々の幸福となっていた時代であれば、みんなでそちらに

向かって進めば国に幸福感が広がっていく。

ただし、それがある程度充足された今の時代に、もっともっと物を増やそうとする

政治の先に幸福感が広がっていく国になるのでしょうか?

自民党は今の路線の修正的な道は描けるのかもしれません。それが何となく選択せ

ざるを得ない道なのかと私たちは感じているのだと思います。

しかし、野党の大勢の先にそれを上回る道を感じえない。

だから「べた凪選挙」であり、「べた凪国家」なのかもしれません。

田原さん、黒柳さんのように、興味と情熱をもってどういう国にしていきたいのかを

私たち一人ひとりが真剣に考えなければならない時代にいるのではないかと思います。

依存した国民ではなく、主体性のある国民へ、今こそ変わらなければならないのでは

ないでしょうか? 若き世代が多くの夢を抱ける国にしていきたいものです。

 

 

戦争と平和

昔、帝政ロシアのトルストイが書いた「戦争と平和」という小説を読んだことを思い出します。

200年以上も前のナポレオン戦争の話ですが、それが今も現実に起きていること、人間の本質から溢れだしてくる愚かな歴史の繰り返しの犠牲になってしまう人々のことを思うといたたまれません。

沖縄が返還されて50年が経ちました。当時と現在の沖縄に対する国民の見方は大きく変わったのは間違いないでしょうが、米軍基地と経済的現実は沖縄県民の方々にとって大きな重圧のまま残っています。

ウクライナの国民が自分たちの国を、自らの意志と命をもって守り抜こうとしている姿に平和ボケしてしまった日本人がどういう意志と行動をもって「有事」に対することができるのか。戦争を体験していない世代がほとんどとなってしまった日本。

政治家・自衛隊任せにして、コロナ後の経済回復ばかりを考えることから、国家の本質というものを真剣に考え、行動していかなくてはいけない時代の入り口に我々はいることを思う日々です。

 

 

 

 

平和は当たり前か?

ウクライナでのあまりにもいたたましい戦争が続いています。

あまりにも平和な時代を生きてきた私たちは、平和であることが

当たり前で、戦争は異常の状態であると思い続けてきました。

たった70年前に悲惨な戦争を経験した日本人が。

今起こっている戦争は、ロシアとウクライナだけの戦争ではないことを

私たちはもう一度深く考えなければならないと思います。

東と西の代理戦争だということを。

戦後のあまりにも平和な昭和・平成という時代を生きてきた私たち。

あまりにも多くの命が奪われた時代があったからこそ、その時代を

生きてこれたことを本当に深く考え、実行していきたいとこころより

思います。

川木建設は地域の一企業にすぎません。

しかし、その一企業も過去の多くの人の生と死から繋がっています。

その先人の方々への感謝と恩を次の世代につなげていくことが、

今を生きている我々の役割であることをもう一度共有していきたいと思います。

あの日あの時から

2011年3月11日46分から11年が経ちました。

もうこんな時間は過ごしたくないと思ったあの時から。

私の人生で流した悲涙の95%が、あの時から数か月の間に流れました。

涙を流しただけの自分しかいなかった。

多くの人が現地へ入り、力を注ぎ復旧を助けてきた。

しかし、力をもらったのは現地へ入った人たちの方がいかに多かったか?

人と人との本質がそこに凝縮的に表れた状況だったのだと思います。

人を救う助けるという行動に対し、自分たちに何ができるのかという不安に

現地の人たちは感謝や笑顔で心の力を与えたのだと思います。

言動も含めた行動からしか、変化は生まれないと思います。

 

私たちが働く事業も行動からしか変化は生まれない。行動し思考し、また行動する。

但し、我々の事業の目的を常に持ちながら、ある過程にあることに失敗したとしても

目的を持った行動を続ければ、その失敗は失敗ではなくプロセスの一つであると考え

ればいいと思います。

 

目的はあったとしても、戦争という手段を受け入れることは出来ません。

この戦争に対しても行動を起こした多くの人が世界中にいます。

その行動がウクライナの国民にどれだけの心の力を与えているか計り知れません。

極限に近い状況でそういう行動を起こせる人が多くいる国であってほしいと心より

思います。