渋澤栄一
さてさて、今日は何を書きましょうか?
書きたいことは山ほどあれど、今このコロナ禍にあって、書いておかねば
ならないこと。
それは、今、私たちは大きく変わらなければならないのではないでしょうか、ということ。
渋澤栄一が生きた時代もそうであった。
私が生まれたのは、昭和33年。東京タワーが建ち、長嶋がジャイアンツに入った年。
日本の社会が、経済的に前へ前へ大きく進み始めた象徴的な時でした。
渋澤栄一が強く思い行動したのが、国家の経済力。
500社にも及ぶ事業体を育て、日本の経済の父とまで言われるようになった。
しかし、今の日本は、渋澤が作ろうとした日本という国の姿なのでしょうか?
渋澤は、理念ある国家は経済力無しには築くことも維持することもできない
と思い人生を捧げた人です。
理念ある国民の幸せを支えるために経済力を蓄えねばならないと思い、渋澤は人生を
捧げた。
まさに目的は国民の幸せでありました。そのための国富、経済力であった。
目的と手段です。
今の日本は、敗戦を境に、国富・経済力が目的となってしまった。
そのことを渋澤は今の日本を見て、嘆いているのではないかと私は思います。
私がもの心ついた時代は、物がなかった。でも楽しかった時代だと思います。
平和であったし、みんな明日の夢を持っていた。
その大きな夢が、物だった。今年はテレビ、来年は電話、そしてその次は車と。
みんなその為によく働き喜んだ。
それが、いつしか喜びではなくなっていた。
もうそんなにいらない、そんなにいらないのに何故そんなに物をほしがることから
抜け出せないのか? そんなにいらないのに何故か忙しい。心が亡していく。
なぜ経済成長率なのか? なぜ幸福成長率ではないのか?
そんなことを私はずっと、思い続けてきました。
そんな時、コロナが来ました。私たちにもういい加減にしろと言っているように
思います。渋澤もそう言っているように思います。
もうすぐ、渋澤栄一が、一万円札(富の象徴の紙とあえて言いましょう)になります。
それは、渋澤が金・経済の本質を問うために、今の世に戻って来てくれるのだと思います。
あなたたちは何のために“私”を得ようとしているのですか? といいながら・・・