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渡邉暢浩 の記事一覧

担当業務「医療・介護・福祉・地域」事業

真摯に誠実に! お客様へのひと言:他社との最大の違いは社員の人間力です。必ずお客様を幸せに近づけるこころと技術を持っています。

小事

一か月まえでしょうか?前回のブログで書いたのは。渋沢栄一。

私が行きついた最も尊敬する人が書いた“「生き方を」を磨く”という書物。

その中に「大志の人ほど小事をおろそかにしない」という章があります。

その文章をそのまま少し書きます。

「人はとかく大事をなすに当たっては、十人が十人まで慎重な態度をとって

これに臨むが、小さな物事に対してははじめから馬鹿にしてかかる傾向があり、

「なに、仕損じたところで知れたものだ」などとほとんど度外視している。

これは大きな考え違いではなかろうか。・・・・・・・」

と書いています。

まさにその通り。小事の積み重ねから大事に繋がる。それは、すぐには繋がりません。

それは、相手のあることが常であるから。その小事を自分の目的と主体性をもって

続けられた人にのみ大事が訪れるのだと思います。

 

それは人に対しても同じ。小学生も、中学生も、どこかの社長さんもありません。

人に対する誠実な真摯な心と態度をとりえる人が多くいる組織が本当に魅力的で

強い組織だと思いますし、人に感動を与えられる組織だと思います。

 

もうすぐオリンピックが始まります。その大きな舞台に立つ選手たちは、正に小事

を積重ね続けオリンピックという大事に到達した人達だと思います。

敬意を持ってその活躍を見守りたいと思います。

 

 

 

 

 

 

渋澤栄一

さてさて、今日は何を書きましょうか?

 書きたいことは山ほどあれど、今このコロナ禍にあって、書いておかねば

 ならないこと。

 それは、今、私たちは大きく変わらなければならないのではないでしょうか、ということ。

 渋澤栄一が生きた時代もそうであった。

 私が生まれたのは、昭和33年。東京タワーが建ち、長嶋がジャイアンツに入った年。

 日本の社会が、経済的に前へ前へ大きく進み始めた象徴的な時でした。

 渋澤栄一が強く思い行動したのが、国家の経済力。

 500社にも及ぶ事業体を育て、日本の経済の父とまで言われるようになった。

 しかし、今の日本は、渋澤が作ろうとした日本という国の姿なのでしょうか?

 渋澤は、理念ある国家は経済力無しには築くことも維持することもできない

 と思い人生を捧げた人です。

 理念ある国民の幸せを支えるために経済力を蓄えねばならないと思い、渋澤は人生を

 捧げた。

 まさに目的は国民の幸せでありました。そのための国富、経済力であった。

 目的と手段です。

 今の日本は、敗戦を境に、国富・経済力が目的となってしまった。

 そのことを渋澤は今の日本を見て、嘆いているのではないかと私は思います。

 私がもの心ついた時代は、物がなかった。でも楽しかった時代だと思います。

 平和であったし、みんな明日の夢を持っていた。

 その大きな夢が、物だった。今年はテレビ、来年は電話、そしてその次は車と。

 みんなその為によく働き喜んだ。

 それが、いつしか喜びではなくなっていた。

 もうそんなにいらない、そんなにいらないのに何故そんなに物をほしがることから

 抜け出せないのか? そんなにいらないのに何故か忙しい。心が亡していく。

 なぜ経済成長率なのか? なぜ幸福成長率ではないのか?

 そんなことを私はずっと、思い続けてきました。

 そんな時、コロナが来ました。私たちにもういい加減にしろと言っているように

 思います。渋澤もそう言っているように思います。

 もうすぐ、渋澤栄一が、一万円札(富の象徴の紙とあえて言いましょう)になります。

 それは、渋澤が金・経済の本質を問うために、今の世に戻って来てくれるのだと思います。

 あなたたちは何のために“私”を得ようとしているのですか? といいながら・・・

 

「サピエンス全史」を読んで

ゴールデンウイークに帰省しました。
普通であれば、新幹線ホームはあふれんばかりの人人人ですが・・・
東京駅からの乗車率は2割くらいでしょうか?
何とも寂しいような、嬉しいような。

故郷に着けば、兄貴夫婦と東京から帰っていた甥っ子が待っていてくれ、
コロナ禍の中、回転すしで食事&義姉が相続したばかりのテナントビル店舗
で二次会。何とも忙しい帰省の始まりとなりました。

帰れば、入院していた90歳になった母が待っていてくれました。しかし、
すでに就寝しておりました。次の日には、少し遅れて唯一の同居猫が帰って来てくれました。

次の日には、父の17回忌。何とも若い住職が来てくれました。何とも素敵なお経でした。

次の日には、渡辺家の文久時代からのお墓が並ぶ敷地全体の清掃から始まり、
午後は、義姉が相続した何ともすごい家の庭園を見ながらの食事とお酒。いやー大変だ、この家を
維持していくのは、との会話で盛り上がりました。

大変な物を受け継いだとは思いましたが、兄貴は地方銀行マン一筋、義姉は同じ銀行員から
今は介護のプロ、長男は証券マン、そして一応私は不動産コンサル。
力を合わせれば何とかなるのではとの会話で、とりあえず終了。
これからこれからという感じ。

何か最初から話がそれてしまっていましたが、今、世界的大ヒットとなったユヴァル・ノア・ハラり氏の
「サピエンス全史」を読んでいます。是非、皆さんも読んでいただきたい。

なぜなら、我々人類(ホモ・サピエンス)が、ここまで発展してきたのかがわかるからです。
私も全くと言っていいほど、人類というものについて知ることも考えたこともなかった。

しかし、ここまで人類が発展してきた本質を知れば、我々が日常においても何をどう考え実行
していかなければならないかが、根源的に示してくれているように思います。

今現在の目の前にあることに対してであれば、ライバル人類であったネアンデルタール人の方が
絶対的に優れて強かった。しかし、まだ現実には存在しない想像上の現実を描き、それをリアルな
現実へと創造していく能力は我々ホモ・サピエンスにしかなかった。

我々の未来は、我々の想像力と意思と行動によって、現実のものとすることが出来る。

このことを、「サピエンス全史」が証明していることを希望として、これからの各々の目の前にあること
に集中していきたいと思います。

私が小さい時、みんなでよく草野球をやった神社の境内にいてくれた牛さんです。
コロナはモーいいでしょとお願いしておきました。

大河

毎週日曜、遅ればせながら始まったNHK大河ドラマ「青天をつけ」を楽しみに見ています。

 渋沢栄一の生涯を描いた大河ドラマ。最も今の時代に本質的にも時代的にも近い大河ドラマ。

 今、たぶん生涯、私が最も尊敬する人だと思っています。

 私が今まで最も尊敬する経済人は、稲森さんでした。もちろん、今でも尊敬する人の一人であります。

 しかし、やはり最も尊敬する人は、渋沢栄一翁だと思います。

 私財を一切蓄えず、ただただ日本の経済を発展させることに人生をささげた渋沢栄一翁。

 渋沢栄一という人はそれなりには知っていましたが、実質的に知ったのは「論語と算盤」を読んだ時から。

 時代が人を、渋沢栄一という人を作ったとも言えます。

 今、あのユヴァル・ノア・ハラリ氏が書いたサピエンス全史を読み始めています。

 時代、歴史、まさに大きな時の大河を、桁の違う時の流れの中にいる我々の今を実感しています。

 コロナという、今地球にいる人類が言う有事も、サピエンス全史からみればほんの一瞬の出来事なのでしょう。

 しかし、その一瞬が時代を、歴史を大きく変えてしまう。

 だからこそ、いくつもの人類という種から、今の人類が生き残ってきたのか、その我々の発展の能力を

 今一度我々は自覚し、覚醒させていく時だと思います。

 それは、いかに未来を想像し、創造を実践していくかに集約されます。

 若き世代が未来を想像し、未来を創造できる環境を作っていくことが、今までの世代の責任だと強く思います。

 そのためにある時が、今という時なのでしょう。

工業団地

最近、川越市及び隣接市の工業団地を訪問しています。

昭和40年台から50年台に作られた工業団地。日本の経済の発展を牽引してきた企業群を目の当たりにしています。

何とも興味深いものがあります。

そして、その新陳代謝。

川木建設は、地域の企業活動を地域の建設会社として積極的に支えて来れたのかと、その責任を痛感しています。

各工業団地には、工業会・組合等サポート組織はあります。しかし、実質的な機能は果たし得ていないように感じます。

ある意味で、埼玉県はメーカー・物流エリアです。ほんの一部の建設会社がいたる所で、大きな新陳代謝機能をはたしています。

我々地域のゼネコンが守らなければならないのは、地域の企業活動を適正にサポートしていくことだと痛感しています。

企業に働く方々は、その事業そのものを成長させていくこと。そして我々は、その事業環境を整備し、支えていくことだと思います。

社会経済を俯瞰し、時に一点に集中し、地域の支えになることを改めて肝に銘じ、日々地域の方々に会いにゆきたいと思います。

私の今年のPrivate目標は、K‐11(農園)を野菜一杯にすること、そして自転車に100時間乗ること、ゴルフを70台で10回回ること、

文学的読書時間を100時間持つこと。

早く、故郷にいる母に、普通に会える時が来てほしい。それが一番の願いです。

 

もう少し、我慢しながら頑張りましょう。若き世代のためにも