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渡邉暢浩
「医療・介護・福祉・地域」事業
コロナに想う 2
つくづく想います。今、起きていることの意味を。
一言で言えば、今起きていることは、私たちの傲慢への反省を私たちが受け入れられるか?ということだと。
私たちの傲慢によって、私たちの生活の利便性を追い求めてきたがゆえに、私たちが作ってしまったウイルス
という人工的自然物からの攻撃に他ならないと思います。
私たちの命という寿命に対する傲慢的な欲望、物に対する傲慢的な欲望、そういう傲慢的な欲望から生まれた
のが今回のウイルスの発生だと。
必要のない集中、密集。太陽が与えてくれた日光を超えた、人工の明かり。朝の意味、昼の意味、そして夜の
意味を忘れた我々の時間・季節を忘れた傲慢。すべてが私たち人間の傲慢が生んだ産物。
その産物をコロナウイルスが今あぶりだしてくれているのだと思います。
そのことを私たちは素直に理解し、受け入れ、変えていかなければいけないと思います。
多くの病にかかった人は、病から多くのことを学んだといいます。
私たち社会が一瞬にして大きな病にかかった。
私たち社会は、このことの意味を素直に理解し、多くのことを今学ぼうとしているのだと思います。
そして、私たちは、本当の意味の基本を取り戻さなければならないと思う。
自分の手、自分の手が触るもの、その清潔さを保つこと。ワクチンや治療薬を人類の科学に期待する
のは、当たり前といえるかも知れません。但し、それも人類の科学による傲慢かもしれませんし、
過信かもしれません。自分で作ったものを、自分の手で殺そうとする傲慢かもしれません。
必要のない食べ物まで経済的に生産し、廃棄する。そんな傲慢な経済生活を整理・整頓しなければならないと
思います。歴史が繰り返すように、ウイルスの発生も繰り返されるでしょう。
それは、いつも、私たちの傲慢さが、一線を越えた時に起こる。
それは、心と物のバランスを失った時に起こる。
ウイルスの発生をなくすことができるものは、私たちの心の中にこそあるものと私は信じます。